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ジャンル分け不能 DRUGONDRAGON『どっかの誰か 誰かの何か』

どっかの誰か 誰かの何か
どっかの誰か 誰かの何か

念願の帰還。
狂気のバンドbronbabaのフロントマン西方龍のソロ、DRUGONDRAGON『どっかの誰か 誰かの何か』が 今乗りに乗ってるVirgin Babylon Recordsよりリリースされた。

bronbabaは街、人を残酷なほどリアルに表現していたバンドで、特に最新リリースとなっている『neo tokyo』は2014年リリースにも関わらず強烈な印象が残っている。

今作はそんな『neo tokyo』また更に違った研ぎ澄まされている作品であることは断言する。

バンドのほうはギター、ベース、ドラムの音に強いこだわりを感じたが、今作の音の構成の大部分は電子音とノイズの嵐、そして優しいギターだ。

ノイズにより塗り潰された音像の中に、ギターと電子音のループが包み込む。
西方氏による呟きにも取れる声が、酷く内省的に突き刺さる。

上記はバンドの前作『neo tokyo』のときのインタビューだが、その中で彼はこう語っている。

西方:街を歩いてると、不良と、爺さん婆さんと、浮浪者と、キャッチのお兄さんと、酒飲んでる人だったりするんですよ。別に隠されてはいない。

―確かに、「隠されてる」っていうのはイメージかも。

西方:それを知ってる人が何人いるかって、いないんです。

表と裏がある、なんてのは人々の勝手なイメージだ、というのはこの頃から変わっていないように感じた。
昔、このインタビューを読んで、衝撃を受けた当時を強く思い出した。

それに加えて、今作に加わったイメージは、救いがある。
ノイズによる開放感からか、電子音の暖かさか、実態は掴めないが確かに救いを感じるのだ。

このアルバムのジャンルはなんて話はどうでもいい、新たなる音楽の幕開けだ。
聴く人、良いも悪いも引っくるめて間違いなく喰らう、そんなアルバムだ。

余談だが、彼のブログがとても良い。

http://www.nishikata.info/oreryu/ore-19.html

何かが変わる気がする瞬間、あるでしょ??

きみから聞こえるんだよ

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